大丈夫、誰も間違っていない^ - ^

みんな それぞれ夢の中の人生を歩んでいる

たった1つの全体の望み

 

自分の望むことは、最終的に

どうでも良くなった時、それは叶う。

 

その時に、全体がこの夢の世界で一番初めに

望んだことに還ったからだと思う。

 

そして

全体の望むことは常にたった1つだ。

 

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この夢の世界へ全体からの望みが放たれる。

望みは初めは、エネルギー的なもの。

言葉を持たないし、形も無い。

 

そのエネルギーを私たちは思考で捉える。

捉えた思考は、それと関連付いた拘りである

マインドとマインドに纏わりついている感情で

包まれる。

 

マインドは一つではないかも知れない。

幾多ものマインドや感情が、まるでキャベツの

ように全体の望みを包み込んでいるのかも。

 

マインドは気付いたら、そして感情は味わうと

そこへの拘りがなくなる。

それは自分が拘っていたマインドや感情は

思考から連想する一つの側面に過ぎなかいもので

たとえそれが過去の実際の体験だとしても

絶対的なものではないと理解すること。

拘る必要はないと、

拘りの葉が一枚消え去るような感じ。

 

そうやって一枚一枚丁寧に葉が消え去っていくと

最終的には中には何も無い。

マインドや感情には、思考ですら究極の真実は

無かったのだと気付いた時に残るのは

全体の望みだけ。

 

全体の望みだけになった時に、

個人の望みが叶うんだと思う。

 

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全体のたった一つの望みとは

「目覚めていないところの目覚め」

なんじゃないかと思う。

 

この望みを感じた私たちのところに

思考を始め、マインドや感情がどんどん

浮かび上がってくるのは、目覚めていない

思考・マインド・感情を目覚めさせるため。

 

その為には、個人の望みが必要。

個人の望みを意識すると、その望みが叶うのを

止めているマインドや感情が出てくるから。

 

そんな風に、そんなことを繰り返すことで

全体は私たちを目覚めに

向かわせているんじゃないかな。

今はそう思う。

 

どうしてそう思うのかというと、

今日書いた記事は、私のマインド。

他のマインドは気付くと全て目覚めて

消えていったけど、これだけはずっとある。

何故か今のところ掴み続けている(・・;)

 

だから、これが

全体のたった一つの望みなんじゃないかなって

今は思う。

 

今の私はこんなマインドを掴み続けている。

そしてまた

個人的な望みが浮かび上がってくるのかな。

それでいい^ - ^