大丈夫、誰も間違っていない^ - ^

みんな それぞれ夢の中の人生を歩んでいる

静と動、無と有、本当も嘘も間違っていない

 

昨日、体のだるさを味わっていたら

そうだ、マッサージチェアがあるんだった!

と、思い出し

チェアに30分ほど体をほぐしてもらっている時に

ふと思った。

 

「そうか、どっちも必要なんだ。」

 

どっちもって何が?

だるさを味わったり、そのまんまでいることと

マッサージチェアを使ってほぐすこと。

 

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そうだ

受動的な味わう行為だけじゃなく

能動的に動いたり求めることも必要。

 

何かを望んだり目的を持つと

私たちはそこへ向かおうとする。

 

その時には静と動が必要だ。

積極的に自分で動いて掴み取りにいくことと

静観してそれを眺めること。

 

静である そのまんまでいることは

受動的な行為。

もちろんそれは必要、

何故なら静は私たちの本質だから。

 

でも静だけだと

私たちは何処へも向かえない。

良いも悪いも無いから、ただそこに佇んでいるだけ。

それでは

この夢の世界に存在する意義がないように思える。

 

そこで必要になってくるのが

能動的であること。

それが思考だと思う。

 

思考とは文字通り考えたり判断したりする

ことだけど

自分の望みや意図を定めるという

人生をデザインしていくためのものでもある。

 

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思考は本当の自分ではない、

本当の自分は観察者だ。と

思っていた時期がある。

 

確かに私たちの本質は何もないという視点からみると

この夢の世界の全てのものは本当の自分ではない。

うん、分かる。

それも本当の事。

 

でも、

同時にこの夢の世界の全ては私たちだ。

それも本当の事。

 

そして

私たちはこの夢の世界で生きている。

何を理解してもそのことからは逃げられない。

 

無も有も

静も動も

無意識も意識も

どれもある。

どれも間違っていない。

 

私たちの人生では

無意識からの欲求がある。

意識が着地点という可能性を作っている。

思考は着地点までの彩りをしている。

 

そんな風に今は思う^ - ^

 

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 だるさスッキリ〜(*゚▽゚*)