大丈夫、誰も間違っていない^ - ^

みんな それぞれ夢の中の人生を歩んでいる

決めることは、生きるための目的

 

人間を含む この世界は

愛という最小分子で出来ている。

 

その愛とは、意識を持っている。

 

『知性と感情』

(前回のブログでは「知ることと在ること」って

   表現したけど、今はこっちの方がしっくりくる)

 

知る・気付く・取りに行くという能動的な性質と

在る・感じる・動かないという受動的な性質を

併せ持っている。

 

もっと色々な表現が出来る。

陰陽や表裏、明暗などなど。

 

人間は元々 相反する性質のもので出来ている。

 

だから同じ人に対しても

「大好き〜╰(*´︶`*)╯♡」ってなったり

「だいっ嫌いっ(๑•ૅㅁ•๑)」ってなったり

するのは皆んなが持って生まれた性質。

傾くのは当たり前ってこと。

 

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そして人間は

そのどちらかを『善い』、反対を『悪い』と

決めたりする、それも性質。

 

このことに私が気付き始めたのは

今から6年くらい前かな。

 

当時中学生の息子が塾に通うと言いだした時、

私はこう決めている自分に気付いた。

 

子供が自主的に塾に通うのは善いこと、

親が無理やり塾に通わせるのは悪いこと。

 

息子は自分で通いたいと言いだしたから

私的には善いことだからOKだったけど

通いたい塾にもう通っているお友達は親に

通わされていた。

心の中で私は息子のお友達のお母さんを悪いこと

している、と非難している私が居た。

 

でも気付いた。

こっちは『善い』と決めるから

あっちは『悪い』と決めちゃうんだ。

そうか、

私は自分の考えを『善い』と決めているんだ。

 

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その後、

物事は『善い悪い』じゃ測れないな、と

思い始めるようになって

『善い悪い』と測ること自体が悪いと決めたり、

真ん中の『善くて悪くて善くなくて悪くない』

という本質に落ち着いた時期もあった。

 

でもね、

『善い悪い』の振り子が両側に振れて、

真ん中にも留まった今は分かる。

本質という傾かない場所に留まっていたら

動くことは出来なくなる。

決めるという私たちの性質は、生きる為に必要だ。

 

だって全てが

『善くて悪くて善くなくて悪くない』って場所に

ずっと居たら

どっちを向いて進めばいいのか

分からなくなっちゃうもん。

 

相反する性質を併せ持っている私たちが

どちらかに傾くことは、

持って生まれたものだから、当たり前。

こっちの方がいいと『善い悪い』を

決めること、

選択すること、

それも性質。

 

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自分で決めることは、いわゆるエゴだよ。

善悪の判断も、

善悪ではなく必要不要で物事を見ることも、

何を食べようか選ぶことも、

それも皆んなから嫌われているエゴ。

 

でも、エゴが居てくれないと

私はこの世界で生きていけない。

 

エゴは

ただの私の性質、私の個性、私の真実、

そして私自身^ - ^