大丈夫、誰も間違っていない^ - ^

みんな それぞれ夢の中の人生を歩んでいる

終わった時に答えはある

 

何かに気付いた時、

それは1つの表現が終わった時。

前回そういう記事を書いた。

 

私たちはいつも何かを求めて表現をしている。

意識的に、無意識に、どちらでも。

 

気付く時とは

返ってきた現実を目の当たりにすることで、

表現した時に込めた感情を味わうことで、

自分が何を求めて拘って掴んで表現したかに

気付く時。

 

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『気付き』って、それに気付くまでは

凄いことのように思えるから

たくさんのことに気付いたほうが

良いように感じたりするけど、

単に自分の望みに気付くだけのこと。

 

そしてこの望みが無くなってしまうことは

ない。

次から次へと続いていく。

右から左へ受け流しているだけ笑笑

(そんな歌?ネタ?あったなぁ( ̄▽ ̄))

 

だからね、

何に気付いたか、どれだけ気付けたか、よりも

『気付き』とは単に望みに気付くことで

私たちは望み続ける生き物だということに

気付いてしまえばいいのかな、

と思ったりする。

 

望んでいる時は喜びもあれば苦しみもある。

それは仕方ない、

そんな表現をしてしまうから。

 

だから、

人間は望み続ける生き物だと気付くことは

私たちに苦しみがなくなる時は無いと

気付くことでもある。

 

こんなことも気付いてしまえば、

自分の中で当たり前のことになる。

 

自分の中で当たり前になる、ということは

気付いた瞬間に、

表現が終わった瞬間に、

答えはもうもたらされていたって、

自分が持っていたって、

自分の中にあったって気付くこと。

 

そうなんだ、

気付きとは既に持っていると気付くこと

でもある。

 

証拠に、その瞬間には癒しと安堵があるはず。

もう望まなくていいし、探さなくていいから。

 

その安堵はまるで

家みたいに自分の中にある帰る場所のような

自分を信じることのような。

 

家でしばらく寛ぐ時があっても

また何かを求めて旅に出発する。

そしてまた家に帰ってくる、

新たに自分の中の何かに気付いてね。

 

自分がいかに持っている存在かってことに

気付き続けること、

そんな日々を送ることが生きていくこと

なのかも知れない。

 

なんて今日は思ったりした^ - ^