大丈夫、誰も間違っていない^ - ^

みんな それぞれ夢の中の人生を歩んでいる

悟りって、解放って

 

今日も私の概念を書き綴っちゃいます^ - ^

もちろん真実ではありませんm(_ _)m

 

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目覚めの体験は

私自身、そして周りにあるものが段々と

無になっていった。

そして全てが無になったとき

とてつもなく大きな直方体の中に私が

パンパンに詰まっているようだった。

無である私は有限だった。

 

解放の体験は

「探求が終わった」という閃きのような

感覚と共に体の中で圧縮されていたものが

解き放たれたような、重力が軽くなったような

体感があった。

そして、走馬灯のように完璧な旅路を振り返

ことが起こると同時に

旅なんて初めから存在しなかった、

スタート地点から一歩も動いていなかったことの

理解も起きた。

 

その時にともちんという個人は目覚めて

この世界から消え去っていった。

この瞬間から全体にお任せする人生は始まる。

それは簡単に言うと今を生きる人生。

そこに気付く、気付かないに関わらず、

その人生は始まっていた。

最近までお任せ人生を歩み始めていたことに

気付いていなかったけど笑笑

 

ともちんが居なくなった後も

たくさんの概念が浮かんできた。

お任せする人生を歩んでいるので

経験と共に次々に浮かんでくる概念という今を

生きる、という人生。

概念が変われば、前の概念なんて見向きもしない

ほどに今を生きるという人生。

流れるように生きて行く。

 

探求者には理解できないかも知れない。

あいつ、昨日と今日では逆のこと言ってるよ。

そう思うかも知れない。

でも、それが今を生きる人生。

ここまで聞くと

解放とは、悟りとは悩みがないと勘違いするかも

知れないけど感情が無くなる訳じゃない。

どんな感情も感じるが、瞬間的なものになる

浮かんできた時に感じるだけ。

そして どんなことだって起こりうる。

このことは、実は全ての人と変わらない。

体の中にある圧縮されたものがないだけ。

その圧縮されたものとは何だろう?

よく分からない(・・?)

目には見えないもの、

だからエネルギーとしか言いようがない。

体を締め付けるようなエネルギーがない、

としか言いようがないもの。

見えないけどあるもの。

 

ともちんに起きたことは

上記の2つの経験だけ、その時の経験だけ。

今の瞬間に直接経験していること以外の

全てのことや、

直接経験も過去になったものは

今の経験を色付ける概念に過ぎない。

当然未来も概念。

 

概念とは決して定まらないもの。

陰陽、光と影、表と裏など必ずどちらかの

要素があり、

あっちやこっちと常に傾く、動くもの。

 

そして悟っていようがいまいが

概念が無くなることはない。

でも、この概念が真実ではないことを

理解するのが悟り。

 

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今 私たちが住んでいるのは

全体という無の裏側である夢の世界。

ここに現れているものは全て眠っている。

目覚めると、その瞬間にここから目覚めて

消えていく。

ともちんのエネルギーも目覚めた為に

ここから消えてなくなった。

 

だから今ここにいるともちんは

ともちん風の経験と

浮かび上がってくるともちん風の概念だけ。

 

ここでは本当は無い経験が起こり、

目覚めていない概念が浮かび上がってくる。

ここには目覚めたものは存在しないから

ここにいる間は目覚めたものに遭遇することは

ない。

 

経験も浮かび上がってくる概念も

選択することは出来ない。

つまり、

経験も浮かび上がってくる概念も

それしかない。

そうでない瞬間は存在しない。

ここにいる内は永遠に目覚めることはなく

それをどうにかできる存在もここにはいない。

 

悟りとはそんな経験。

目覚めてしまった自分はもうここにはいない。

それを知りながら自分風のそれらと共に

この夢の世界で生きていくこと。

それが起こっている。

 

ここでは

ただ経験が起こり

それを色付ける概念が浮かぶ

そんな流れの繰り返し。

どこまで行っても繰り返し。

 

悟りの後は

自覚して ここでその流れの一部となる。

 

悟りとは

大きな希望をもたらすが

大きな絶望ももたらすもの。

 

 

最終的に何が言いたいかというと、

 

悟りとは

起きる経験に

それを概念で色付けたもの。

 

ただそれだけ^ - ^